詩紙 にちにち2号

*あぶない

しずしずと光は揺れて

晩夏の空気を染める

空の青さがやわらかく

雲の白さが角を丸めると

秋が見える

 

川沿いの遊歩道は両脇に草が繁茂して

まだまだ緑一色

わずかに茶色く枯れている

トンボが舞う バッタが跳ねる

ひとは、見えない

草むらと木々の向こうにあるグラウンドから

掛け声だけがする

 

「あぶない」

低い柵を越えれば川、

すぐそばに水面が見える

あどけない看板がひらがなで言うには

ここは危ない

水にさらわれる

誰かがわたしをさらう

わたしがわたしを失う

季節の境目は扉が開くから

ふいに

向こう側へと入り込める

顔を上向けると

あちらが少し見える

空の光加減も

ひとの笑いさざめく顔も

あんなに軽やかな光景

地を蹴って

ここを手放せばいいだけの

 

あっ

重力がわたしを引き留める

質量がしっかりとあって

飛べはしない

わたしに結びつく光景や関係が

まだ体験していないものがあるでしょう、と

足首を逃さない

「あぶない」に添えられた顔が

目をこちらに向け

小さくうなずく


*詩が「終わり」と言うまで

 わたしは詩を書くとき、特に完成形など思い浮かべず、一行目になる言葉ができたら/浮かんだら書き始めてしまう。

 時には、その言葉は一行目に置くものではないと直感で分かっていても、他にその詩を始める言葉がないことがあり、手元にある言葉をすべて冒頭に仮置きしてから書き始めることもある。そうすると、書いているうちに冒頭に置いた言葉たちにふさわしい場所が分かるし、一行目にぴったりの言葉もできる。それと、今は先の部分を書くけれど、あとでここを書き足すということも、書いていると分かる。

 では、終わりはどうするのか。それは詩が「ここで終わり」と言ってくるので、それに従う。嘘みたいに思われそうなのだけれど、書いているときに詩から「ここで終わり」とメッセージが出る。ある程度の長さを書くと「終わり」という法則もなく、わたしは時々、こんなに短くてよいのかとか、まだ終わらないがよいのか、と思いながら書く。無理やり長くしても、無理やり終わってもよくないことだけ、分かる。だから、依頼で◇行から△行までとあるときは、手元の詩の行数を慌てて数える。推敲するときに頑張って、指定の行数に合わせる。

 それで、ふと他の人はどうなのかなと思って、Twitterのアンケート機能を使って聞いてみた。①感覚的に決める、②内容・伝えたいことに合わせて考えて決める、③投稿規定や依頼の行数に合わせる、④書く前に決める、の四択で、感覚的に決めるが一番多くて八割ちょっと、規定に合わせる、考えて決める、と続いて、書く前に決めるは票がなかった。

 わたしは自分があんまりにも感覚頼みで詩を書いているので、ちょっと不安になっていたのだけれど(特に終わり方)、感覚で決める人が多くて、ほっとした。完成形や終わり方を考えて書ける人はすごいなと思う。

 詩は小説と違って、起承転結のような書き方の枠みたいなものがないと思っているから、たまに自分はこの書き方で大丈夫なのかと心配になってしまう。他の書き方を試してもなかなかうまく書けないから、この書き方しかないのだろう。そうは思っても、不安が消えない。頼りない詩人である。


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