いとを結ぶ

大きな、大きな物語に飲み込まれようとしている、わたしのこれっぽっちの身体にひと結びされた意図がここにあるのでまだ踏みとどまっている。いと。いとしくおもった、街も人もぬいぐるみも波もまた洗われて一箇所の物語に収束されてしまう。この、怖れを解きほぐせないか。終着点が見えないことをふるえているのではなく。なぜなら、ひとつでないものをひとつにしようとする、ことに抗う、覚悟なんて持つ暇もなかった。たとえ片言であっても発していく他にはなにが、あったか。かさついた手で削り取りながら、消させないとつよく込めて、片隅に記していく言葉の色合いや匂いが褪せていったとしても、意思が残るだろうと信じて。枯れそうな声、意図の思うところはわたしの意思とは別で、どちらも飲み込まれてはいけないと指し示す。

晴れた休日、まっすぐでいて柔らかな陽の光がいつまでもあると思った。身体は照らされて軽く、つま先が意図のしっぽにほそい影を灯した。わたしは考えぼやき笑って、自らの不足を埋めようと思いながらも、外見を成り立たせるために追われていて、思考はゆらゆら淡いところで泳いでいた。光の撫でる手が穏やかなので、このまま、穏やかさに身を任せて眠るように日々を渡っていけるのだと。わたしは櫂をこぐ手を止めて、それでも舟は徐々に動くのだった。意図は静かで結ばれていることすら忘れそうな、凪いだ空気が満ち満ちて、きらきら、きりり、樹々の葉が照らされていた。

夜は明るい。大都市のふもとに貼りついて暮らしている。毎日通い詰めているのに、街中のネオンサインが何時まで灯っているのかは知らない。あの巨大な時計兼温度計のディスプレイが消えている日も、ビルがすっかり消灯した街並みも見たことがないのだ。ビルの上の観覧車は止まるのだろうか。ゆっくり、ゆっくりと陽が落ちていくことは夏の間だけ見られる。ビルのすき間からくっきりと色が移りかわっていく姿を空はのぞかせる。それは、ささやかな深呼吸だった。思い出は過去形で語るしかない、いつだって。

いま。意図が、なぜわたしの腰の辺りにきつく結びついて離れないのか、わたしの何が意図の気に入ったのか、その答えは見えないままに、流れようとする足を踏ん張っている。身を任せて、しまえば。わたしは形だけになって、たゆたうのみの生命体だ。呼吸するだけで生きていけるなら、とっくにわたしの意思は投げ捨てられて、意図は断ち切られて、抜け殻、がらんどうの空気を通すばかりの身体、もうここに残るものは何度も着てくたびれたパーカーだけだろう。

わたしの意思の、どこまで。わたしが考えて。他者から「そうせよ」と言われて。どこから。飲み下したのか、判別はつかなくなってきていて。でも、尊い、考えることは、ひとのすることの中で尊さを持つ。わたし、わたしを飲み込ませてはいけない。あなたはあなた、物語の語り手は語り手、区切りはしっかりと持たなくては。ひとつの生命体として語るべきものの持ち合わせは少なく、ただ、わたしが今ここにわたしであるということだけが、名前や属性を示さなくても、わたしはわたしであって他の存在ではないということが、この言葉を記述させている。

渦が。わたしもあなたも渦に巻かれて。とおく、から押し寄せてきて、さざ波は潰れて、ぬいぐるみは毛羽立ち、渦はわたしとあなたと、知らない人知っている人仲のよい人わるい人関係性の薄い人濃い人、区別なく巻き込んでいって。中心は穏やかなのだろうか、辺縁で渦に髪の毛を巻き上げられていては見えないが、思い描く、ことはできる、この渦がどこに私たちを連れていくかもわからないけれど。それでも意図は離れなくて、身体を渦が飲み込んでも、精神までは飲めないのだ。

何であっても、あけわたさない。この身体を、意思を明け渡さない。この響きが、どこからわたしに届いたのか、問わない。わたしは、わたしであり続ける、それだけの。

 


2020/4/23