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2020/05/01

今日も今日とて家にいた。
いくらインドア派とは言え、すべきこともあるとは言え、だんだんと疲れてくる。
だから暇があれば読書に没頭して、ここではないどこか、に少しでも近づこうとしているのかもしれない。メモアプリに残した読書記録によると、4月はマンガを除いて22冊読んだことになるらしい。近頃では多いほうだ。拾い読みもしているし、マンガも読んでいるから、相当文字を追っている。猛スピードで読み進めたのでちょっと息切れしてきたけれど、それでも読む本を考えているくらいだ。
さすがに「呼吸するように本を読む」は言い過ぎだと思うが、「食事するように本を読む」ならしっくりくる。わたしにとって、読書は「たましいの食事」のようなものだ。なくても身体は生きていけるが、なければ精神的に苦しくなる。物心ついたときから本が好きだった。もしかしたら、趣味:読書なだけでなくて、特技:読書なのかもしれない。博覧強記まではいかないし、題名しか知らない名作も多いけれど。

散歩に行ったら、晴れていて暑かった。空気は少し煙っていて、遠くの山が水彩画のようだった(たまには詩人っぽいことを書く)。川の土手に出たら風が強く、あおられたモンシロチョウが手にぶつかってきて、思わず声が出た。アシナガバチとかカナブンじゃなくてよかった。汗だくになって帰宅。

上に書いた「たましいの食事」について、もう少しとりとめのないことを書いてみようと思う。
読書、マンガ、映画、ゲーム、友達と会う、旅行、ドライブ、演劇、ライブ、コンサート、美術鑑賞、写真、勉強、音楽、挙げていけばきりがないが、自分が生きるにあたって、自分らしく存在するために欠かせないもの、それがなくなると心が苦しくなるもの、を「たましいの食事」と仮に名付ける。

今は外出自粛や他者との接触減少を求められて、その「たましいの食事」が上手くできない状態だ。それで苦しい。いくら身体的には問題なく生存できても、精神が削られたら、身体も徐々に削れる。もちろん、どうしようもない状況だということは頭ではわかっている。
精神が痩せると、元に戻るまでとても時間がかかる。どうしても元に戻らない部分もあるし、新たに得るものもないとは言わないけれど、できるなら精神は痩せずに丸っこいくらいがいいと思う。

心身ともに酷く調子を崩して以降、わたしは朝のニュース以外テレビを見られなくなったし、家事も下手になったし、10シーズンにわたって熱心に追いかけていたフィギュアスケートへの情熱は失ったし(日本開催の世界選手権や四大陸選手権の大会通し券を取って、当日公式練習から最終演技者まで見に行ったのに!ブロック大会から全日本選手権まで見に行ったのに!)、一時期はこんなに好きな本を読むのにも苦労したほどだ。

家にいながら、できるだけ精神が痩せないように過ごす。わたしの場合は大量にある既読の本と少しある未読の本を読むこと、Spotifyを使い倒して音楽を聴くこと、ライブのBlu-rayやDVDを見ること、連絡下手なりに友人とオンラインで会話すること、旅行ガイドを眺めること、詩から手を離さないこと、あたりだろうか。崩した体調が回復傾向になった頃、ふと思い出したものが詩だから、大事にしたい。