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「わたしは生きる」 意思と愛――流血女神伝のこと

※物語の展開と結末をネタバレしています。長文です。(約6200字)

「エド。わたしは、生きたいわ」
「わたしはもうこれ以上、わたしのまわりで人が死ぬのはいや。だから――どうせ死ぬのなら、ここで一回死んだ気になって、わたしと一緒に来たらどうなの!」
『帝国の娘(後編)』より

はじめに

「流血女神伝」シリーズ(須賀しのぶ/集英社コバルト文庫)全27巻(本編22巻・外伝3巻・番外編2巻+同人誌として発行された番外編1巻)
骨太の異世界ファンタジー。神と、人と、生きる意思と、賢明さと、剣と。今は電子書籍版が出ている。下記はkindle版へのリンク。
https://www.amazon.co.jp/dp/B074CHL8NZ

わたしが「流血女神伝」を知ったのは、中高生の頃。雑誌cobaltとコバルト文庫の読者だったから、たぶん雑誌のカットや文庫に挟まれている栞で知ったんだと思う。お小遣いで買いそろえるのが難しいなと思うくらいに巻数が出ていて、リアルタイムでは読めなかった。それでもタイトルと著者名を覚えていて、大学生になりひとり暮らしを始めてから全巻をそろえた。シリーズの始まりである『帝国の娘』(前・後)は梅田のMARUZEN & ジュンク堂書店で買ったことを今でも覚えている。そして、そのあとはシリーズを一気に読んだのだった。

読書の順序

《ルトヴィア編》
○帝国の娘 前・後

《エティカヤ編》
○砂の覇王 1~9

《外伝・ラクリゼ編》
○女神の花嫁 前・中・後

《ザカール篇》
○暗き神の鎖 前・中・後

《ユリ・スカナ編》
○喪の女王 1~8

《番外編》
○光来たる島(作者による同人誌として発行/「死が二人をわかつまで」カリエとエディアルドが結婚する話、「使者来たる」アフレイムからの使者が来た話)

○天気晴朗なれど波高し。1~2

本編の《○○編》に入っているカタカナはすべて国の名前。主人公のカリエは4ヶ国を様々な立場で転々とせざるを得ない。詳しくは後述する。
《外伝・ラクリゼ編》の『女神の花嫁』も本編に深くかかわっているので、飛ばさないほうが物語をより深く楽しめると思う。読んだほうがより分かるように《ザカール編》と《ユリ・スカナ編》は書かれている。

番外編は読んでも、読まなくても、読めなくても、本編に影響はない。
特に『光来たる島』は現在は入手困難だと思う。

あらすじ代わりの年表

計算ミスをしている気がしてならないが、以前読み返した時に作った主人公カリエの年齢を元にした「流血女神伝」年表メモがあるので、加筆修正しつつここに転記する。これだけ読んでも何が何だかわからない気はしているけれど、カリエの流転する運命を察していただければ幸い。
カリエを中心とし、登場人物もエピソードもかなり省いている。それでも25巻分なので長くなった。

《ルトヴィア編》
・猟師の娘カリエは14歳の冬、エディアルド(皇子の従者)に攫われ、ルトヴィア帝国アルゼウス皇子の身代わりにさせられる
・エディアルド(以降、エド)20歳くらい
・カリエはエドにより徹底的に皇子の身代わりとして教育される→
カリエとエドは皇子が集められる離宮へ入る→
ミュカ(皇子)、ドミトリアス(皇子のち皇帝)らと学問や剣の稽古などをして過ごす→
ミュカとカリエ、街に降り暗殺されかける→
ラクリゼ(謎の女性)に救われ彼女の家にて回復→
ミュカとカリエは一度離宮に戻る→
暗殺未遂事件の犯人が判明する→
皇子の身代わりの必要性がなくなる→
カリエはエドに自分とともに逃げるよう語り掛ける(冒頭に引用した言葉など)

《エティカヤ編》
・カリエ15歳 エドとともにルトヴィアの離宮から逃げる→
ルトヴィアとエティカヤの国境付近で騙される→
カリエもエドもエティカヤの奴隷市場で売られる→
カリエはエティカヤのバルアン王子の小姓頭に買われ、エドは同じくバルアン王子の将軍に買われる

・カリエ
バルアンの治めるインダリにて後宮の女奴隷として献上される→
冤罪で牢へ入れられるも解放される→
妃の厩番になる→
再び冤罪で牢へ入れられ、自力で逃げ出す→
逃げた結果、バルアンの小姓になる(この辺で16歳?)→
ルトヴィアにてバルアン正妃と紹介される(亡国のギウタ皇女と判明)→
インダリに戻ってしばらく過ごす→
エティカヤ王の生誕祭でリトラ(エティカヤ首都)行きのはずが、兄王子らを欺くためバルアン、ラクリゼとともに海賊になる→
カリエ、ルトヴィア海軍との戦闘中海に落ち、ルトヴィア海軍船に助けられる→
タイアーク(ルトヴィア首都)のロゴナ王宮滞在→
シャイハン(バルアンの兄)が治めるヨギナ(エティカヤの都市)へ→
シャイハン対バルアンの決闘を見届ける(バルアン勝利)→
バルアンと正式に婚姻、リトラへ移住

・エド
剣豪であるエドは、軍の中で出世を続ける(エティカヤ編では脇役)
時折カリエとエドは会う機会を設けられる

《外伝・ラクリゼ編》
・ラクリゼ(カリエを陰ながら守っている女性戦士)が主人公
・ラクリゼはザカールの長老の娘だが、掟の関係で息子として育つ
・ラクリゼが12歳の時、ザカールの結界を破ってサルベーン(ルトヴィア編から登場する謎多き僧侶)がやって来る
・ラクリゼ14歳、サルベーン13歳のとき、そろってザカールを去ることを決めるも道中で仲たがいする→
サルベーンは傭兵王ホルセーゼの傭兵団へ入り、ラクリゼは森に暮らす一家に助けられる→
3年後、ラクリゼは傭兵団のサルベーンのもとへ向かう→
わだかまりを解消し、ラクリゼはサルベーンの子を懐妊するも流産→
ラクリゼ、傭兵たちの訓練に参加するようになる→
ラクリゼとサルベーン、傭兵団の一員としてギウタ皇国首都ヨギナへ出陣→
エティカヤとの間でヨギナ攻防戦→
ラクリゼとサルベーン、道を分かつ→
ギウタ皇国滅亡→
ラクリゼは皇妃に頼まれた通り、幼いカザリナ皇女(カリエ)を連れヨギナから脱出する

・ラクリゼとエドは17歳差(ラクリゼが20歳の時、3歳のエドと母親が傭兵団を去る)
・ヨギナ攻防戦時にラクリゼは27~8歳、カリエは4歳(5歳に満たない)
→カリエとエドは6~7歳差くらい(?)

《ザカール編》
・カリエ19歳 オラエン・ヤム(エティカヤの聖山)に登る→
ヨギナ総督になる
・エドは正妃親衛隊長となり、ヨギナに着任する
・カリエ、バルアンの子を懐妊していることが判明する(オラエン・ヤム登山から半年後くらい)→
20歳前後でアフレイム(息子)出産(登山から約1年後)
・エド、ラクリゼからカリエとアフレイムがザカールに狙われていることを聞き出す
・出産から約10ヶ月後の夏、アフレイムがザカールの長老に誘拐される→
取り戻すべくカリエとラクリゼはザカールへ→
同時にエドとサルベーンたちもザカールへ→
カリエは単身で山上にあるザカールに踏み入り、長老のもとへ(ザカールの習俗の関係で疑われることなく入り込めるため)→
ザカリアの大祭の日を狙い、エドとラクリゼたちはカリエとアフレイム奪還の準備を進める→
カリエは意思を奪われ、ザカールの長老の子を妊娠→
大祭の日、エドとラクリゼたちザカールへ入る→
儀式中に意思を取り戻したカリエとともにアフレイム奪還(神殿が崩壊し、エドはカリエを庇い大けがをする)→
ザカールの麓にある森で過ごす→
秋の中頃、出産を決めたカリエとエドはエティカヤを離れ、ユリ・スカナへ向かう(アフレイムをエティカヤに残す苦渋の決断をする)

《ユリ・スカナ編》
・カリエ 21歳 秋の終盤からイーダル(これまでに知己を得ていたユリ・スカナの王子)の屋敷でエドとともに療養→
初夏、エティカヤの暗殺者から逃れる途中でセーディラ(娘)出産(エド立ち会う)→
カリエたちは、政治的に利用されるのを避けるため、イーダルの元から逃げ出す→
森を旅する→
イーダルの部下に見つかる→
カリエとセーディラとエド、ユリ・スカナ東北部の修道院に入れられる(男女の建物が近接している)→
秋、カリエは修道院の院長とともにガンダルク(ユリ・スカナ首都)へ→
エド、セーディラを預かる→
カリエ 22歳の冬、彼女を利用しようとするネフィシカ(ユリ・スカナ新女王)に囚われる→
エドは危険を察知し、セーディラを連れて修道院を離れ、深い森へ入る→
エド、ネフィシカからの追っ手を倒す→
ザカールを出たラクリゼ、エドに合流する→
エド、策略にはまりエティカヤ兵に捉えられるも、逃れる→
ラクリゼ、セーディラを連れて南洋の島へ避難→
カリエ23歳間近の秋、ガンダルク脱出→
エティカヤのルトヴィア侵攻が始まる→
カリエ、軍を率いたイーダルとイーダルの元にいるエド、サルベーンに合流する→
カリエたち、イーダルが率いる軍の一員として従軍する(ユリ・スカナのルトヴィア侵攻)→
ルトヴィア帝国滅亡を見届ける→
カリエとエド、生死の境をさまようルトヴィア元皇帝ドミトリアスを大陸南部の島へ送る→
カリエとエドは、ラクリゼとセーディラが待つさらに南の島へ→
12~3年後、アフレイムの招待でカリエ、エド、セーディラ、双子の子どもたちはエティカヤへ向かう途中にドミトリアスと会う
(物語はここで終わる)

感想

「流血女神伝」シリーズは、神と人の物語であると同時に、人の生きる意思と愛の物語だと思う。ここでは神と人の観点は横へ置き、登場人物間の関係も多々あるが、カリエとエドの2人に焦点を絞って、人の生きる意思と愛の観点から感想を記す。神の意思を測り、それに沿うよりも、人として考え、自らの意思に基づいて生きる2人である。

カリエとエドは生き残る以外、自らの意思では何も選択できなかった。
皇子の身代わりにも、その教育係兼監視係にもなりたかった訳ではない。カリエは口封じのために殺されるつもりはなかったし、エドはカリエを殺した後自害するつもりだったが、カリエの言葉を受けて生きることを決め、2人はルトヴィアから逃げた。まさかエティカヤの奴隷市場でそろって売られるつもりもなかった。そのあともさまざまな出来事が起こるが、彼らが望んで起こしたわけではない。
2人とも生き残るためには、自分たちではどうしようもない流れに流されるしかなかった。お互いの手を取るより他になかった。2人の立場は何度も変わる。物理的な距離も変わる。その中で、自らが生き残ることはもちろんのこと、相手が生き残ることも思って、今いる立場でできる行動を取る。お互いに心配をし、守ろうとし、信頼を深める。2人ともが、生き残り、生き延び、生きることを目指して。
そして、カリエに降りかかるさまざまな試練を、カリエがどう乗り越えていったのかを、すべてエドは見ていた。必要なときは、カリエを守った。カリエはおそらく一番難しい選択をしたとき、他の誰でもなくエドにすべてを打ち明けた。彼ならば、自分の思いを理解し、娘や自分を守ってくれると信じた。

カリエは、神の意思のもと試練にさらされながらも、自らの意思を手放さずに生きる。彼女は自らの意思に関係なく、国と国の関係の中に放り込まれ、人と神との関係の中に引きずり込まれる。皇子の身代わりに始まり、どんなに最悪だと思われても、死んだら楽になるという考えに襲われても、最後は生き残るために、生き残って大切な人を守るために、自分にできることを探して動く。落ちてもまた這い上がってくる強く、明るく、前向きな意思を持って。
その支えにはどうやらエドがいる。唯一の肉親のよう、愛する家族など、温かな形容をし、ザカール編では正妃と親衛隊長ではなく、友人としてエドに頼みをする。

また、山村の猟師の娘だったカリエは、不本意ながら攫われたことによって自分の世界を広げる。偏見やいろいろな価値観をそのまま受け入れるのではなく、その目で見て、感じ、考え、選択し、決断をするようになる。さまざまな人が、宗教が、価値観が、決断が、立場があることを知る。
「流血女神伝」は複数の国が舞台となり、それぞれのお国柄が書き分けられている。政治情勢も細かに書き込まれる。これは現実に近づけるためではないかと思う。

自らの意思によって人のまま強くあるのがエドだろう。彼は、ザカール編の中で「神も人も同じだ」という主旨のことを静かに言う。「なにものからも、神であっても、正妃(カリエ)を守る」という主旨のことも言う。
エドはルトヴィア編の中で命の次に、もしかしたら命よりも大切にしていたアルゼウス皇子を亡くす。殉死するつもりだったところをカリエによって生きるほうへ引き戻される。
そのあとは、カリエを死なせてはならない、見守ると決めたので、ただそれだけで、ずっとカリエと行動を共にする。その感情に名前を与えることなく、当たり前のことだと言うように。どんなときでも諦めない、静かだけれど強い意思を持って。

彼らのこのような関係性は、家族愛でも友愛でも同志愛でも恋愛でもなく、その全てでもあるようで、もはや何もつけない「愛」なのではないか。男女間の情愛では片付けられない。出会いこそ神の意思が働いたのかもしれない。だが、皇子の身代わりを終えるときに、カリエがエドに手を差し伸べ、その手をエドが取ったときに始まった、お互いの意思による何ものにも変えがたい、深い信頼に基づく絆がある。それは、神も他者も関係なく、2人が築き上げたものだ。

本編の最終章で、カリエとエドは結婚して家庭をつくったことが分かる。神の意思や各国の思惑が絡み合う大陸を離れ、南の島へ向かった彼らは、もう、明日を掴むために命を賭して戦わなくてよくなった。厳しい日々が終わって安全を手に入れたあとも、お互いを思い合う気持ちに変わりはなく、ずっとともに歩み続けた深い信頼と絆が、生きる意思が、家庭という形を取ったのだな、と感慨深くなった。男女が子どもを連れて一緒にいることを周りからどう見られるか、ではなく、この先もともに生きていく決意としての家庭だろう。

カリエとエドの関係性は、たった1文字の「愛」ではないかと先に書いた。しかし、名付けなくてもいい関係性に名前をつけたがり、それで分かったように思うのは人のよくないところなのだとも思う。
カリエとエドの関係性は2人のものでしかなく、カリエはエドを、エドはカリエを、恐ろしいまでの深さで大切に思っている。そしてそのことをお互いに分かって、ともに歩んでいるのだから、周りが何を言う必要もない。けれども、周囲はさまざまに憶測を語る。自分の価値観で2人の関係性を測ろうとする。
それは現実にも重なる。人間関係、特に男女間の関係性を測ろうとする視線があるように思う。大事なのは、関係性に愛だとか恋だとか友情だとか名付けることではなくて、当人同士が築いている関係性を尊重することだろう。自分以外の誰かを大切に思うこと、その思い方はたくさんあってどれか一つの方法に限らなくてもよいのだ。
綺麗事ではあるが、自分が「大切に思う人」がいること、自分を「大切に思ってくれる人」がいること、そして「大切に思っている人」に「大切に思われている」ということ、その点だけは信じたらいいのだと思う。

最後に『光来たる島』収録の「死が二人をわかつまで」からラクリゼの言葉を引いて終わりたい。

「人は、誰かをとても大切に思って、自分の命よりも尊いと感じる時、神様よりずっと強くなるのよ」