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発見した音楽、連想から推しのはなし

先週の日記に、バンドとボーカリストを発見したと書いた。ここ2週間ほど、ラルクを知った中学2年生の冬以来、17年ぶりではないかという勢いで、そのロックボーカリストSHINの楽曲やカバー曲をYouTubeで聴いている。自分があまりに聴くことに驚きつつ、CDアルバム3枚とシングル1枚を買いそろえた。YouTubeはカバー曲のほうが多いので、オリジナル曲をしっかり聴けるようになった。声質・音域・歌い方・曲調が好みに合ったとはいえ、ここまで急激に聴くようになるとは思わなかった。そのうち、ライブDVDを買うかもしれない。

 

ライブDVDで連想したのだけれども、ロックのライブに行ったことがない。興味はあるものの、大音量に弱く、人混みが苦手で、飛び跳ねたり手を振ったりできるのかという疑問もあり、今までラルクの25周年記念ライブを映画館のライブビューイングで見ただけなのだった。ライブビューイングは着席で客席は静かだったし、音量も映画と同じ程度だった。

大音量に弱いのはどうしようもなく、シンガーソングライターのホールでのライブですら、最初の曲で音量にびっくりして慣れるまで曲を聴くどころではなかった。念のためライブ用耳栓を買っていたのに持って行き忘れて、こんなに音が大きいなんて思わなかったと衝撃を受けた。耳栓を使えば、ロックのライブでも大丈夫かしら…?

人混みは一時期に比べたら平気になったけれど、観客はたくさん入るだろうから気がかりではある。

上の2つが大丈夫だったとして、果たして、ノリノリでその場にいられるのか? ライブDVDやブルーレイを見ると、一体となって手やペンライトを振ったり、思い思いに飛び跳ねたり、歓声を上げたり、つまりは身体全体を使って楽しんでいる観客たちが映っている。わたしはそういう「ノリノリ」とはあまり縁がなかったので、一番の懸念はここだと思う。もしかしたら、ライブ会場にいれば周りにつられて弾けるのかもしれない。どうだろう。

新型コロナウイルスが収束したら、30代にして初めてロックのライブに足を運んでみたいなぁと思っているけれど、実行に移す気合があるかしら。

 

さらに連想で、「推し」について考えていた。ミュージシャンやバンドの中では、L'arc-en-Cielが一番の推しであり、ラルクの中で誰、というのはないのでたぶん箱推しというものだろう。中学2年生の冬、当時仲が良かった子に「鋼の錬金術師のアニメを見て!」と勧められて見たら、ハガレンじゃなくて主題歌の「READY STEADY GO」にはまって、そのあと「瞳の住人」で完璧にファンになっていた。懐かしい。聴けば聴くほどこんなに多彩な楽曲を演奏するバンドがあるだろうか、それも無理なく彼らのカラーで演奏するのだ、と思って、17年間も飽きることなく聴いている。そして今は、上述の通りSHINにはまりつつあり、推しになるのかもと思っている。

俳優さんの推しというのは、男女問わずいない。テレビを捨てたし、捨てる数年前からは朝のニュースしか見ない生活だったので、そもそも情報がない。映画もあまり行かないし、演劇は行ったことがないし、ミュージカルも宝塚を1回見ただけだ。

作家の推しを考えると、作家そのものを推すというよりは、どちらかというと作品を推す感じかしら。木地雅映子の『氷の海のガレオン』はわたしの物語だと思ったほど、特別な作品だ。何か日本の現代小説をと思うと島本理生の作品を選ぶことが多く、その中でも明るいものと思った時には『リトル・バイ・リトル』、純文学のうつくしさなら『夏の裁断』を読む。新井素子の『チグリスとユーフラテス』も忘れることができない。13歳の夏に図書館で単行本を借りて読み、文庫になって買い求め、もう18年経つ。思い出した時に読み返すので、文庫は傷んできたけれど手放せない。詩集だと、現代詩と出会ったという意味で文月悠光の『適切な世界の適切ならざる私』を挙げる。大学生のとき平積みになっていた単行本を手に取ってパラパラとめくり、これは買って読むべきだと買い求めた。そして読み終えたときの、こんなふうに言葉を使うことができるのか!という衝撃を覚えている。

二次元の推しもいないと思いつつ、今読んでいる小説の『銀河英雄伝説』ではヤン・ウェンリー派。

 

まとまらないのでこの辺で。