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ご自愛、ご自愛

この週末は何も予定がなく、何もしないをするぞ、と思った。ということで、生産性みたいなものは横に置いて、だらだらとろとろ好きなことをしていた。

午前中は音楽を聴いて、読みかけの短編集を読み終えた。それだけだけれど、それで良い。詩を書こうかなーと思って、まだ今日は書いていないあたり、本当に気が抜けている。ふっと「ご自愛、ご自愛」というタイトルが浮かんだから、日記か雑記かを書こうと思ったので、今書いている。

 

お昼ごはんを食べながら、天気がいいことだし、このまま一日家にこもっているのもよくないと思って、家から遠いほうの神社に行ってみることに決めた。その神社も住宅地の中だから少し距離があるとはいえ、そんなに大変ではなかろうと思っていた。そうしたら、大変だった。ずっと緩やかな登りが続いて、参道に入るあたりから傾斜が急になって、神社の境内にたどり着くころには息が切れていたし、冬にしては汗をかいた。その分景色がよかった。

 

コロナ禍ということもあるからだろうか、「ご自愛、ご自愛」と浮かんだので、自愛について考えてみようと思う。

自愛は難しい。自愛とは、自分を大切にすること・自分の体に気を付けることだと辞書には載っている。

自分を大切にするとは、自分を愛しているとはどういう心境なのか。まずもって、ほどほどの自己肯定感がないとできないだろう。自己肯定感は自分が絶対に正しくて間違わなくて強いみたいな感情ではなく、間違ったり失敗したりすることもあるけれど、それも経験として受け止められる気持ちかなと思う。

わたしは失敗を恐れるけれども、恐れるのは自分を丸ごとすべて否定されるように思うからだ。でも一つの失敗で丸ごと否定されるというのは、よほど酷いことをしない限り起こらないだろう。たいてい、怒られながらも解決できる。多少間違っても、だいたいは何とかなる。だから、31歳まで生きてきた。

わたしは今、自分の人生を愛しているとまでは言わないけれど、生きていくのも悪くないなと思っている。その心境にたどり着いていることに気づいたときには、30歳になっていた。

わりと激しかった10代を通り抜けて大学進学した頃にも、何とか生きていけそうだなと思った記憶がある。でも、20代半ばでつぶれてしまった。つぶれたので環境をガラッと変えざるを得なかった。それが結果としてよかった。簡単に言えば、周りの人が肯定的に接してくれる環境に変わったので、つぶれた部分が少しずつ元に戻った。

つぶれたときに詩を思い出して書き始めたこともよかった。私家版詩集を作ったり詩の雑誌に投稿してみたりしたところ、思ったよりも楽しかったし、よい反応もいただけて、つぶれた部分が戻った面もある。

何というか、あなたもわたしもそれで大丈夫、というようにお互いを肯定的に受け止められると気持ちが楽になるのかなと思う。

精神面が落ち着かないと、体を大切にすることまで思い至らない。20代後半にして精神的な落ち着きが増して、30歳を過ぎたら体のことも気にするようになった。というか、明らかに太りやすく疲れやすくなったので、気にせざるを得なくなった。毎日ちゃんと湯船に浸かったり、より野菜やたんぱく質を取ることを意識したり、土日のどちらかは散歩するようにしたりする。特に入浴の効果を感じていて、シャワーで済ませていた頃よりも疲れが抜けやすくなったので、今はkindleで本を読みながら短くても15分、気がつけば30分近く浸かっている。

それから、真夏に部屋の大掃除をし、冬にも片づけをしたら家が快適になった。これも元気が出たからできたことだと思う。身の回りに気をむけるのも、自分にゆとりが必要だ。

自分の体にも気持ちにも目を配って、小さくささくれた程度の時に手当てできるようにしたいものだと思う。

うまくまとまらないので、この辺で。