· 

散文と詩の調子、時間の断絶、匂い

詩が思うように書けない…という状況を脱したら、今度は日記に何を書いたらいいのかしら…と迷うようになった。散文の調子がよいと詩の調子が悪く、その逆も然りなのだろうか?

そういえば、散文詩を「終わらない…」と思いながら延々と書いているときも、行分けの詩の状態が悪いということが多いし、書いている散文詩の出来もよくない。でも、出来が悪いなりに最後まで長々とした散文詩を書くと、行分けの詩に戻って来られる。わたしは行分けで詩を書く方が上手く書けると思っていて、散文詩が上手く書けるときは場面がひとつで、その場面に勢いが必要なときという感触がしている。

 

金曜日から翌週月曜日までの遠さを思う。間に土日を2日挟むだけなのだが、遠い。「さて、わたしは職場で先週金曜日に何をしたのだったっけ?」と思いながら月曜日は出勤する。今週みたいに月曜日が祝日だと、ますます遠い。確かに金曜日は仕事をしたのだが、それが3日前のことに思えないのだった。5日くらい経っている気がする。同じ週の月曜日から金曜日までは近い。月曜日は金曜日が多少遠く感じても、火曜日・水曜日と連続して重なることで、「あ、いや、遠くないわ」となる。

やはり、平日と休日は過ごし方が全然違うことで、時間が断絶しているように感じるのだろう。金曜日の夜に溝があって、それをまたいで土日に入り、日曜日の夜にも溝があって、それを渡って平日に行く。

平日は仕事をしている。そうすると黙っていても役割が付与されるので、その役割を果たすことで、とりあえずの拠り所というか身の置き場所というか、生きていく上での居場所のひとつを確保した気分にもなる。一人で家にこもり続けると思考が閉鎖的になってくるので、適度に開放される場所なのかもしれない。まあ、労働は生活のためであるというのが第一。

休日は反対に人と関わらずに過ごすことが多い。定期通院があったり、家族の用事に巻き込まれたり、友人と家でお茶をしたりもするが、毎週毎週ではない。散歩したり、作業している人が多い朝のカフェで読書したり詩を書いたり、家で料理に励んだり、最近新調した机で読書したり詩を書いたりしている。一人で過ごすこと・家で過ごすことに、コロナ禍で拍車がかかった。この時間を・この家を・この暮らしを維持するために平日があるんだなぁと思う。

 

香水などの匂いが苦手だと思っていた時期が長いのだが、そうではなく、よく使われているバラをはじめとする華やかな花の匂いが駄目なようだ。柔軟剤を買う時もサンプルで匂いを確認してから買う。香水で持っているものは、ラムネとヴァーベナと椿。バニラを持っていたこともある。どうも、おいしそうな匂いが好きで、ここでも食い意地が出てきているのかもしれない。

推しのグッズにアロマキャンドルがあり、それはライチティーの匂いだというのでライチも紅茶も好きだから買ってみたところ、いい匂い。瓶に入っているので、つけたり消したりしてまだまだ長く使えそう。それでふとお香はどうなのかと興味がわき、無印良品の「お香 緑茶の香り」を買って焚いてみた。緑茶風味のお線香という感じで、これはこれでよい。祖父母の家っぽさも感じる。アロマキャンドルは華やかでお香は渋く、それぞれの趣があり、気分によって使い分けたらよさそうだ。

 

お昼ごはんに焼き芋を焼いた。朝晩が涼しくなった頃から焼き芋を焼くぞと思っていたので、ようやく実行した。程よい太さのさつまいもがなかなか手に入らなかったが、昨日発見したのだった。オーブンレンジに「焼き芋」というメニューがあるので、オーブン用の天板にさつまいもを並べるだけでよい。あとはボタンを押せば勝手に焼きあがる。焼き上がりが近づくにつれ、甘い匂いがし、ほくほくと焼けたので大変よかった。

 

冒頭の文章はなんなんだ、というくらい書いたのでこの辺で終わろう。日記というよりは雑記になってきた感じがするなぁ。