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海老名的お料理論1 何のために、どのように

何のために料理をするのか? は人によって異なるだろうけれど、わたしの場合、自らの食欲を手っ取り早く収めるためだ。たった今、今週、ともかくここ数日の自分が食べたいもの、食べるであろうものを作ったり、簡単に下ごしらえしたりしておく。誰かと食べるための料理は、父親と二人暮らしをしていた高校生の頃にしたっきりだ。

 

子どもの頃から食い意地が張っている大食いで、お弁当や給食を残すといったことはあまりなかったと思う。母親や祖母からは、まだよだれかけを垂らしている1歳半にして「簡単なごはんだねぇ」と晩ごはんを評し(その日は、鍋物の取り皿と炊き立てのごはんだけが並んでいて、いつもよりお皿の数が少なかったらしい)、3歳にはラーメン1人前(大人サイズ)をメンマだけ残して食べ切ったとか、39℃の高熱なのにすき焼きを食べたとか、ことあるごとに聞かされた。1歳半から食事に興味津々だったわけで、そうなると三つ子の魂百までというから、このまま死ぬまでわたしは食べることに情熱を注ぐのだろう。

今も大食いなので、外食や中食を続けていたら、栄養バランスがどうのこうのという以前に、恐らく食費が高騰しすぎる。世間の1人前は、わたしにとっての1人前ではない。例えば、市販の「かに玉の素」にはたいてい卵3個で2人前と書いてあるけれど、わたしは1回で食べ切ってしまうし、もちろん他のおかずもごはんもお味噌汁も食べる……。体格がよいので身体を維持するためにはそれなりに食べる必要があるだろう、と思う反面、人並みの食事量であればもう少し食費が下がるだろうと思うこともある。

加えて、食べたいものが家庭料理に根差しているものが多くて、そこら辺の飲食店では食べづらい。肉じゃがとか鶏そぼろごはんとか、そういうものを出すお店を知らないし、探すより作るほうが早い。それに、飲食店での食事は自分の味ではないので、時折食べる分には新しい味の発見になって楽しいのだけれど、毎日続くと疲れる。

そんなわけで、食べたいものを食べたいように作るのが、わたしにとっては手っ取り早く自分の食欲を満たせるのだった。

 

しかし、食べたいものを食べたいように作る、ためには味の経験値と調理方法の経験値が必要だ。味が分かっても作り方が想像できなければ、再現できない。

幼少期のわたしは台所に入り浸るのも好きだったので、母親から特に料理を教えてもらったことはないけれど、一通りの家庭料理はできるようになった。それこそ、「醤油を入れて、みりんを入れているな」とか、眺めていたんだと思う。よく味見を頼まれていたし、簡単な手伝いは早いうちからしていた。あとは学校の調理実習で、拍子木切りだのひと煮立ちするだの、そういった用語と実例の知識を得た。父親と二人暮らしを始めたときも、簡単なレシピ本とネットのレシピを見ながら、そのうち何も見ないで、料理するようになった。

最近はあんまりレシピ本を買わないのだけれど、本屋さんでたまに料理本コーナーを覗くと、各手順に写真が付いているような分かりやすい本が多いなぁと思う。今わたしが料理初心者だったら、写真が豊富かつ手順や用語の説明が丁寧で、文章の書き方が自分の好みに合ったものを選ぶ。

そして大事なのは、自分の味の好みを分かって料理をすることだと思う。自分の味の経験値を信じて、レシピを鵜吞みにしない。特に、ネットのレシピ投稿サイトは玉石混交なので、わたしは料理研究家・料理番組・食品会社のwebサイトのレシピを参考にすることが多い。15年以上台所に立っていると、「この材料に対して、この調味料の分量だと自分の好みとは異なる」ということも分かってくるので、そういうときは材料と調味料の種類だけ参考にして、分量は自分で調整してしまう。それから、外食やお惣菜でいいなと思ったものを、再現することもある。頭の中でだいたいの味付けの枠組みが出来上がるので、あとはそれに沿って調味料を選んで、味見をしながら作る。

料理を始めたばかりの頃は、レシピにある材料と調味料を見ただけでは味を想像するのが難しいから、レシピより少なめに調味料を入れて、味見をしながら調整するのがいいと思う。だから、炒め物より煮物のほうがいい。煮物は火加減も煮立つまでは中火から強火、煮立ったら弱火、とシンプルだ。炒め物は火加減も味付けも一発で決める覚悟がいる、と思っている。

 

…長くなったので、この辺でいったん止めます。たぶん、そのうち続きを書きます。